切れ者の発想力はどこからくるのか? | SP速読学院

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切れ者の発想力はどこからくるのか? 

それでは、ここで「切れ者」と称される人について考えてみよう。
まずは、ビジネス界の風雲児とも呼ばれる、「世界のホンダ」創業者・本田宗一郎の例から。

本田宗一郎といえば、自動車修理工場の丁稚から一代で会社を創り上げた叩き上げの成功者として有名である。いかにして本田は、栄光をつかんだのだろうか。
本田が東京の自動車修理工場に丁稚奉公へ行ったのは、高等小学校を卒業した十六歳のときだった。企業へ就職するのとは異なり、丁稚奉公では仕事を教えてくれる者など誰もいない。
本田は赤ん坊の子守りのかたわら、親方や兄弟子の技術を盗み見ることで自動車の構造を学んだ。おそらく、こっそり観察するだけではわからない点も多々あっただろう。事実、丁稚奉公を始めた当初、本田は随分と悔しい思いをしていたようである。
だが、本田はそこでくじけることなく、地道に観察を続けた。子守りに明け暮れる日々を半年ほど過ごした後、ようやくスパナを握らせてもらう。本田の天才ぶりが発揮されるのは、ここからだ。何よりも自動車が好きな本田は、乾いたスポンジのように知識と技術をみるみる吸収し、わずか二十一歳で独立する。
それ以降の本田の栄光の軌跡については、ご存知の方も多いだろう。独自の着想と技術力で、今や、ホンダは世界的に有名な自動車メーカーとなった。
ホンダは「世界でもっとも速くて安全な車」を開発し、カーレースの最高峰F1でも数々の栄冠を手にしている。
鍛冶屋の貧しい長男坊だった男が「和製エジソン」と成り得たのは、人並外れた探究心と創意工夫があったからである。

本田にかぎらず、ビジネスの世界で成功を修めた者には、独創的な発想力を持った人物が多い。名だたる企業の創業者には、押しなべてその傾向がある。

ちなみに、本田の父・儀平もまた発想力の優れた人物であった。
炉にくくる炭にすら不自由していたという儀平は、日本に自転車が普及し始めた時代に、大きな転機を迎えることとなる。自転車を分解修理する過程で、儀平はその構造を学んだ。基本を修得した儀平は、自転車を修理する工作機械を自作する。やがて儀平は、持ち込まれた中古自転車を、まるで新品同様によみがえらせて、安く売り始めた。
明治時代の自転車には、現代の高級車と同程度の価値があった。儀平が修理した再生自転車は評判となった。その結果、儀平は貧乏鍛冶屋から一転、浜松の有名人となる。本田の発想力の原点には父・儀平の姿があったに違いない。

独創的な発想が大成功を導いたケースは、ほかにもある。
数年前に大流行した「たまごっち」。若い女性を中心に、一時期、日本中にたまごっち旋風が吹き荒れた。たまごっちは、玩具メーカー・バンダイに勤める女性社員の意見をもとに開発された商品である。斬新な発想力によって生まれた商品は、会社に大きな利益をもたらした。
また、NTTドコモの「iモード」も、新しい発想力によって大ヒットしたものの一つだ。電子メールの送受信はもちろんのこと、iモードはレストランの検索から株価情報のチェックまで可能にした。
今や携帯電話からインターネットに接続できるのは当たり前だが、そのブームの火つけ役となったiモードの功績は非常に大きい。iモードを開発したのは、NTTドコモのゲートウェイ・ビジネス部で企画部長を務めていた松永真理氏である。この功績は高く評価され、松永氏は同社技術部門における社長賞「R&D賞」を受賞し、同時に「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2000」にも選ばれた。

このように、ヒット商品開発の影には、かならずや斬新な発想力の存在がある。言い換えれば、ビジネスマンとして他者より抜きん出るために、「発想力」がいかに重要であるか、おわかりいただけただろうか。

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