速読ブックレビュー・書評

辻インストラクター書評『遠野物語―付・遠野物語拾遺』

遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川学芸出版) 遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川学芸出版)

柳田 國男 (著)
268ページ

かつての岩手県遠野は、山にかこまれた隔絶の小天地で、民間伝承の宝庫だった。柳田国男が民間伝承の宝庫でもあった遠野郷で聞き集め、整理した数々の物語集。日本民俗学を開眼させることになった「遠野物語」は、独特の文体で記録され、優れた文学作品ともなっている。

【読書の所要時間】 2時間(熟読で1回)

岩手県に遠野という街があります。民話で有名な所です。岩手の山深い地勢において、僅かな平地を見つけて点々と連なる諸都市の並びからはやや孤立し、山中の盆地に位置する街です。(岩手の地図を見れば一目瞭然ですが、岩手の諸都市の並びにはわかりやすい規則性があります。海岸沿いに陸前高田・大船渡・釜石・宮古など震災関係で耳にする街々が縦に並び、内陸では県中央を南北に伸びる狭隘な平地に一関・北上・花巻・盛岡などが等間隔に連なります。それ以外は山地です。そして遠野はまさにその山地に位置しています。)
 今は民話の町として栄える遠野ですが、その源流となったのがこの『遠野物語』です。著者は柳田国男という人で、日本の民俗学の創始者として有名です。発行は明治四十三年。遠野に伝わる民話や伝説・習俗を柳田国男が人づてに聞き、書き留めたもので、一種の民話集のような趣を持っています。
 現代でこそ古典として扱われつつある『遠野物語』ですが、内容においては重要な知識も教養も与えてくれることはありません。河童やザシキワラシなど、現代にも名の通った物の怪もいくつか登場こそします。しかし大方は遠野土着の名も知らぬ伝説や習俗に終始しており、民俗学という分野に入れ込む人、遠野という土地に何らかの縁のある人でなければ興のそそられようがないかも知れません。
 いくつか短い例をあげましょう。
「四十 草の長さ三寸あれば狼(おいぬ)は身を隠すといへり。草木の色の移りゆくにつれて、狼の毛の色も季節ごとに変はりてゆくものなり。」 「九八 路の傍に山の神、田の神、塞(さえ)の神の名を彫りたる石を立つるは常のことなり。また早池峰山六角牛山の名を刻したる石は、遠野郷にもあれど、それよりも浜にことに多し。」  終始このような感じです。一口に「狼は毛の色が変わる」「アニミズム的な石碑が多くある」と言ってしまえば身も蓋もなく、また事実それ以上のことはまるで語られていません。本編は文庫本にして80ページたらず、119の小エピソードがただただ並置されているのみで、作りはこれ以上なく簡素なものです。構成も文体も野ざらしのままで、作為の影など一切顔を出しません。そういった形式の中で紹介される種々の伝説も、紹介、というよりはまるで独りごちるかのように、ただ 訥々と語られてゆくのみです。
 したがって、この本から何かを得ようとする試みは空を掴むでしょう。現代的な知見はもちろん入っておらず、時代に左右されることなく通用する思想といったものも、一読しただけで掴み出すのは困難でしょう。実用的な知識、社会を生き抜く手練手管、それどころか日常的な生活の知恵というほどの内容すら込められていません。話はおよそ荒唐無稽とよんで差支えないもので、夢と現実を行き来しているような印象すら与えます。さりとて、小説を読むような娯楽性を求めるには枯淡に過ぎます。味気ないのです。ストーリーは多く山なしオチなしで、起承転結もはっきりせず、ぶつ切りな印象すら与える場合が多々あります。
「三四 白望(しろみ)の山続きに離森(はなれもり)といふ所あり。その小字に長者屋敷といふは、全く無人の境なり。ここに行きて炭を焼く者ありき。ある夜その小屋の垂れ菰(こも)をかかげて、内を窺ふ者を見たり。髪を長く二つに分けて垂れたる女なり。このあたりにても深夜に女の叫び声を聞くことは珍しからず。」 この完結した一つの話から、なんとなく不気味な印象以外のいかなるものも得られようがないではないでしょうか。

 では『遠野物語』は無用の書なのでしょうか。読書に実用的な知識を求めている限りではそう言えるかも知れません。この進んだ時代に、今さら「山神山人の伝説」もないでしょう。しかし柳田国男が序文にて「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」と語った通り、『遠野物語』にはある種の戦慄を催させるような凄みがあります。ぶっきらぼうな、枯れたような語り口でいてしかしその中に、淡いものですが、豊かな情趣が確かに潜んでいると感じさせるのです。
 “無用の用”といった難しく曖昧な概念を振り回す必要はありません。『遠野物語』に籠められている味わいのようなものは、この本に有用性や、穿ったような解釈などをこちらから押し付けようとしない限り、誰にも感じられるものに思います。この本に関しては何かを得よう、何かに役立てようという心意気自体が読書を欺きかねません。現代に通用する内容や合理性を求めることはお勧め出来ません。本文は、そういった考え方とは真逆の考え方で満たされているからです。興奮や感情移入といった刺激、感情を波立たせるような娯楽性を求めるのもおそらく無益でしょう。「何が言いたいのかわからない」といった批判も的外れでしょう。テーマ性などという重厚な概念が、この本にとって余計な装飾以上の意味を持つとも思えません。もちろん、教養人必携といった大層な見方とも合いうことはなさそうです。『遠野物語』に関する限り、読書にはある種の虚心坦懐を必要とします。疲れた時に何とはなく風景に目をやり、例えば山を見て、その姿が心に沁みるといった誰でも持つ経験と同種の精神を必要とするのです。一種の詩情が求められるように思います。
 確かに現代では珍しい本と言えるかも知れません。その事情は発刊当時も変わらなかったらしく、柳田国男の手になる序文は自虐に満ちています。「思ふにこの類の書物は少なくも現代の流行にあらず。」「自己の狭隘なる趣味」「今の事業多き時代に生まれながら、問題の大小をもわきまへず」などです。しかし直後に柳田は力強く開き直りを見せています。「はて是非もなし。この責任のみは自分が負はねばならぬなり」。
 『遠野物語』に含まれる夢幻性を、現実的でなく、合理性がなく、したがって何の役にも立たないと断ずる方には、柳田国男の次の言葉が一つの指針になるかも知れません。「要するにこの書は現代の事実なり」。この一言で表現された、『遠野物語』の幻想趣味的な世界を遠野の“事実”と断定的に言い切り、そこに一つの楽しみを発見した柳田国男の信念こそ、この本の無類の価値と結びついているのではないかと感じます。
 そういった意味では、全ての方にお勧めしてみたい本です。「無意味な本だ」「退屈だ」といった感想を持たれる方はおそらく多いでしょう。しかし、無意味で退屈なのは本の方なのか、はたまた自分自身なのか、わかったものではないでしょう。

(辻インストラクター 2012年4月)


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